archive : 2011 年 07 月

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海彦と山彦

松下政経塾のことについて少し書いたので、ここで、その松下政経塾出身者でもある宮城県知事村井嘉浩氏について考察したい。ただし、わしは知事本人とお会いしたことがないので、これまた報道やネットでの情報からの考察である。実際に宮城県民がどのように評価しておられるのかも知らない。
知事は防衛大学校卒の自衛官で、退官された後松下政経塾に入塾、県知事になられたと言う珍しい経歴の方である。先日、復興担当大臣だった松本龍との一件で全国的にも注目を集めた。その一件でのやり取りを見ていても、人物であることが分かる。少なくともこの非常の時に、この知事でよかったのではないか。もしも、この非常時に菅直人や鳩山由紀夫のような人物が知事だったとしたら・・・。ぞ〜っとするでしょう(小沢一郎については別に考察したいと思うので、ここではまな板にのせない)。比べるだけ失礼かもしれないが・・・・。

村井知事は大震災復興策として「水産業復興特区」というアイデア掲げ地元の水産業者との折衝にあたっておられるとのことである。
その「水産業復興特区」の構想に付いてだが、簡単にいうと沿岸養殖魚に民間企業を参入させ、資本的にも設備的にも苦境に立つ水産業者を資本面から援助しつつ沿岸養殖業を復興させようという構想だ。つまり、水産業者は自分たちが持つ漁業権を一旦民間企業に預け、漁業を再開しつつ、給料制で生活を立て直す、というアイデアだ。
これを聞いたとき、うまいことを考えるなあ、思ったのだが、当の水産業者が大反対していたのをニュース映像で見た。これだけ見てると、知らない人は既得権益者が新規参入者を拒否している構図ではないかと思ったかもしれないが、わしはまた別の感想を持った。

宮城県民の方なら同地出身の作家熊谷達也氏を当然ご存知だと思うが、知らない人のために簡単に紹介すると2004年に「邂逅の森」で直木賞を受賞された方である。そのマタギ3部作である「相克の森」「氷結の森」をあわせて通読すると、日本の狩猟民の精神文化を少しでも理解することが出来る、お勧めの小説である。
これらの小説からも想起されることだが、三陸の水産業者があれほど反対しているのは、この狩猟民としての精神文化からではないのか、と思う。
当の水産業関係者はきっとそんなことには気付かずに、「なんか嫌だ」と思ったのではないか。説明できない気持ちから、つい、「事前に説明がなかった」と理由にならないようなことで怒ってしまう。
自分たちの精神性を説明する言葉がないのだ。その機会もなかったし。狩猟民としての精神を現代にも受け継いでいる人々なので、何にも言わなくても、まわりの仲間は暗黙の了解で理解し合えた環境にいたので、あえて説明する必要がなかったのだ。

それを。知事の復興策が揺さぶった。理性的に考えれば納得のいく救済策かもしれない。とりあえずの生活の足しになるし、民間資本による機材設備も一新できるかもしれない。しかし、彼らは嫌なのである。その復興策は敢えて言えば、農耕民的な発想なのである。
なぜかというに、給料をもらって狩猟する、という文化が彼ら水産業者にはないのだ。たとえ養殖業であっても、かれらは漁りの民なのだ。獲物が穫れようが穫れまいが、それは己の能力を傾注した後に付いてくる結果であって、その結果を受け入れ、獲物が穫れれば神に感謝し、共同体全体で獲物を分け合う。穫れなければ我慢する。他の事で急場をしのぐ。そうして生きて来たのだ。
猟場を隅々まで知り尽くし、獲物と知恵比べ、力比べをする、それが楽しいのだ。そうした彼らの自然との向き合い方が、30年前から山に樹を植え、巡り巡って入り江を豊かにする、という知恵を生み出す。

村井知事には、そうした彼らの狩猟民精神文化を理解していただきたい。

「水産業復興特区」を押し進めるのならば、先ず、参入して来る意欲のある民間企業の選別である。誰でも参入可というのは理想であるが、地元水産業者の漁業権の共同運営ということになるので、マリアッジがよくなければ不和となって事業も失敗するだろう。だから、民間参入企業の資質が重要だ。

政治は「リアリズム」であるといえる。精神文化だの伝統だのをこの非常時に汲み取っていたのでは前に進まない、と言われるかもしれない。それは正論である。そういわれるともう返しようがない。ただし、それは福沢諭吉的リアリズムである。目に見えている事しか考えていないと言う合理主義だ。
対して、勝海舟は幕末の中で、最も合理的精神を持っていた人物だが、その上に「幕臣」という身分も背負っていた。
そんなものはうっちゃりたい、と本音では思っていたかもしれないが、最後まで幕臣であり続け、どんなに時間がかかっても徳川家の名誉回復に全精力を費やした。それがようよう叶えられたのが明治31年、徳川慶喜が明治天皇に謁見出来たときだ。これにより、徳川は朝敵ではなくなり、名誉回復した。海舟が没する10ヶ月前の事だ。
海舟は時代の合理精神も十分持ち合わせながら、見えないもの、日本の伝統社会、徳川家の名誉、それら切って捨ててはならないものにまで目をかけ続けた、という事を想念して欲しいのである。
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松下政経塾と陸軍大学

前回、松下政経塾に付いて少しコメントしたので考察を続けようと思う。
だが、実はわしは松下政経塾を取材したこともなく、卒塾者とも3〜4人ほどしか会ったことはない。
なので批判するほどの材料を持ち合わせてはいない。

カエルだけに、わしは水面レベルからの視点しかない。と、前置きして考察に入ってみたい。

2年前の民主党政権移行から、わしはある既視感を持っている。この道はいつか来た道〜♩、ん?
なんか見か覚えがあるな。という感じ。

それは、日中戦争、太平洋戦争時に日本陸軍や政治家がおかした、間違ったボタン押しまくり現象だ。断っておくが、日本将兵のことをクサそうとしているのではない。彼らは質の高い兵士だった、と当時の世界の軍と比較しても思う。問題は戦略に責任を負うべき上級将校の問題だ。

日本陸軍の将校は決して「馬鹿ではない」はずだ。というのも当時帝国大学に入るよりも難しいと言われていた陸軍大学卒業者ばかりだからだ。いわゆる、軍人におけるベスト&ブライテストと言える人々だ。
その陸大卒業生で有名なのは、1921年にドイツのバーデンバーデンで会合した岡村寧次(陸大25期)、永田鉄山(陸大23期)、小畑敏四郎(陸大23期)の3人に、オマケで参加した東条英機(陸大28期)だ。彼らはほぼ同年齢、日露戦争の頃に成人した軍人で、きわどい勝利であったにもかかわらず、日露戦争では「勝利」の美酒を味わった人々だ。その後の彼らの行動はここでは割愛する。

そして、松下政経塾なのだが、陸大と対比して批評しようというのではない。わしが疑問に思うのは、頭脳明晰であるはずの彼らが、なぜあの時、間違ったボタンを押し続けて来たのか、ということだ。
国費で学業を修め、海外留学までして知見を広めた旧陸軍人。

松下政経塾の場合、大卒者、社会人としていっぱしのことをなした人々が、厳しい入塾審査をクリアし、さらに人間を磨こうと、完全寮生活を送って勉強された訳だ。まことに向上心あふるる人たちである。
そういう人材が輩出するということは、松下幸之助さんもさぞや草葉の陰で喜んでおられるだろう。

だが、しか〜し。そういう彼ら彼女らが、現実の政治の世界でなぜこうも「口だけ達者なやつ」という烙印を押される事態になったのだろうか?彼らをしても、どうしようもないほど他の政治家達がアンポンタンなのだろうか?

一応お断りするが、松下政経塾は政治家養成学校ではないし、パナソニックのロビイスト養成所でもない。松下幸之助氏が念願する、日本人として上等な人間を育てたいという思いで作られた人間養成学校であると認識している。だが、松下政経塾に入学を希望する人は、将来政界入りを視界に入れていない訳ではないだろう。
きっと、この日本をなんとかよくしたい、という善意の思いがある人々でもあるだろう。
わしが会った3人はそうであった。残りの一人は(?ω?)だが‥‥。

そういう能力も教養も、社会人としてのマナーも十分併せ持つ彼らにして、混沌とした政界を正すことが出来ず、将来の日本の行く末を見誤らそうしているように見受けられる。こうして考えていると、毎度毎度、カエサルの言葉が浮かんでくるのだ。

「人は自分が見たいと思うようなことしか見ない」

なんか教訓めいて来たが、「頭脳明晰な者が良い政治が出来るという訳ではない」という事例を作ってくれているようである。
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東京スカイツリー

7月24日、NHKスペシャルで「東京スカイツリー」を見た。わしはこういう技術に挑むドキュメンタリーが大好きだ。萌えちゃう〜。>(×M×)<
世界に類を見ない設計。100分の1ミリ単位の鋼材の製造。1000分の1ミリ単位のアンテナグレイン塔のジャッキアップ工法。どれもこれもすばらしい新しい建築工法への挑戦だった。そこで働いているスタッフの若さ、プロフェッショナルな横顔。いいドキュメントであった。そして、息を飲んだのが3月11日14時46分の映像。
アンテナグレイン

そう、東日本大震災をもろに受けたのだ、高さ600mの高さで。しかも、アンテナグレイン塔を最後のジャッキアップ・シークェンスに移る瞬間、最も脆弱な一瞬を狙っていたように地震が起きたのだ。落下防止ダンパーを6セットのうち1セットを取り外したとたん、最も不安定な時だった。
これは現場の人間にとっては怖かっただろう。アンテナの先端が最大6mの振幅で揺れていたのだ。>("m")<

しかし彼らは冷静だった。一瞬恐怖を感じたが、直ぐに第一展望台まで退避、一人のけが人も出ず、直ぐに地震への対応を協議する。彼らのプロフェッショナル魂には脱帽する。
幸いにも建物にも被害はなく、余震を警戒しつつ1週間後に無事、アンテナグレイン塔を所定の高さに建設完了。頂上での中心線の誤差2㎝以内
そのグレイン塔の頂上で責任者が集まり、下界を満足そうに眺めている表情が素晴らしかった。困難を乗り越え、建築物を構築する。満足そうな表情。いいなあ。あの建築現場にいた人たちは、自分の子供や孫達に、「あのスカイツリーはお父ちゃんが作ったんやで」と自慢できるんだろうな。いいなあ。

こうして、自分を誇りに思い、ひいては日本を自慢できる者は幸せだ。そういう誇りを持てる者になりたい。
物造りにおいてそうだし、鉄道の安全性能についてもそうだ。そして、今後は原発の安全性能に付いても世界一だと自慢したい。さらに、その原発さえ、もう必要がないほどの新しいエネルギー技術を作り出すような国であって欲しい。
このプロジェクトのスタッフ達は次に何に取り組むのだろうか。まさか中国に行くんやないやろか。せっかくの技術もそれを伝えるためには何らかのプロジェクトを続けなければ人材も技術も残して行くことが出来ない。
伊勢神宮の式年遷宮もそうした技術を後世に伝えるための制度だ、と言われている。古代の日本人もよくわかっていたのだ。

スカイツリーの映像

それに対して、中国が高速鉄道の事故車両を地面に埋めるなんて信じられない行為だ。そこには原因を究明しようとする技術者魂がない。きっと政治的判断からそうしたんだろうが、中国の鉄道技術者にとっても屈辱的な思いだろう(そうであって欲しい)。鉄道の「焚書坑儒」なんて初めて聞いた。古代中国、周時代の鼎が破壊されて埋められているのも案外同じ理由かもしれんな〜。

だが、この日本にも恥ずべきものがある。政治家だ。これだけは世界に持って行けない。外に出したら恥ずかしい。この日本でこれほど品質の悪いものがあるだろうか。
メイドイン・ジャパンというラベルを貼りたくない。検品者にはじかれる製品だ。特に民主党の首相経験者はいかん。
「脱原発」宣言に対しては約70%の支持があるそうだが、民主党の支持率は16%だとか。
16%もあるのか、という驚きもあるのだが(組合関係の支持者か?)、脱原発に70%というのは、「戦争反対」、「核兵器反対」、「世界に平和を」というようなスローガンと一緒で、誰も反対できないし、どれ一つ日本人には実現できない事柄で、したがって責任は持てないスローガンと同じ類いのものか。

もし、「脱原発」解散になって、もう一度民主党政権になったら悪夢だ。2年前に民主党を圧倒的多数で選んだ選挙民の責任を追求したい。結局のところ、政治家の質を下落させたのは選挙民ではないのか。その責任をとることになったから増税になったのか?

マニフェストだとか政治家の言葉にこれだけ踊らされる国民というのも滑稽に見えてしまうが、この頭の悪そうな政治家のまわりに、本人は選良であると信じている人材が蝟集しているのが不思議だ。

そういう人材の一つ。松下政経塾出身の皆さん、あなた方は旧日本陸軍の参謀に成り下がっていますよ。現実を知らない、現場を知らない、机上のプランをゴリ押しして、前線の兵士を無駄に死なせてしまったあの参謀達に。
彼らは帝国大学以上に入学するのが難しいと言われている陸軍大学出身者。ベスト&ブライトネスだったはずの日本陸軍参謀。また、同じように日本を破滅に導くのか。
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感情論がカエル歴史

人間の感情的な行いが歴史をかえて来たことは周知の通りだ。理性的に、合理的な話し合いで事が進められて来たことは少ない。そういう事例もなくはないけど人はあまり覚えてない。
印象に残るその事例は近々ではチェコのビロード革命か。あれはチェコ国民の民度の高さを示したいい事例だと思う。
中世にまで目を向ければフリードリッヒ2世とアイユーブ朝スルタン、アル・カーミルとのエルサレムの和約か。たった10年間だが流血なしにエルサレムがキリスト教徒の管理下におかれた。この奇跡的な事業をなした二人の英傑(後者の二人)を事例に出すのもおこがましいことだが、民主党の党首をまな板に乗せてみたい。

菅直人は「脱原発宣言」をしたおり、人々の原発への恐怖心を利用して自身の延命策に出たのではないかとマスコミで批判されている。きっとそうなんだろう。ビジョンがよく伝わらなかったかし。批判されてすぐに、「あれは個人的な意見」とトーンダウンもした。日本人の言霊信仰もずいぶん軽くなったものだ。

鳩山由紀夫は沖縄から「米軍基地を撤退させる」とぶちあげて沖縄県民の感情に添う発言をした。だが現実問題としてそれが不可能だと分かったとたん、その前言を翻す。

こうして、それまで感情論をなんとかなだめながら進められ、あるいはそれらに答える方策を見いだそうと煮詰めて来られた政策をたった一言で感情論戦に落としてしまう。

これはこの民主党政権の性癖のようだ。

普通に損得、国益、国民感情を勘案してさじ加減を調整して政策として決定するのが政治家の役割であるはずなのに、まるでお昼のワイドショーのように、視聴者うけのする文言を発する。

世論に添うこと、世間が言って欲しいと思われることを率先して言うことが政治家だと思っているのではないか?

原発政策が経済界の暗黒の策謀だとマスコミで叩かれると、ブラックリストに載りたくないものだから、「そうだそうだ」、と尻馬に乗って悪役を作り、自分は正義を行う側の方にいようとする。

いったん感情論に堕してしまうと、問題の解決は相当難しくなる。もう何を言っても話を聞かなくなるし、お互いの言葉が届かなくなる。すると口をつぐむ。

それに嵩にかかって、さらに論争はエスカレートし、ますます収拾がつかなくなる。政治不信であればなおさらだ。福島の原発事故で信用失墜した東電に対しても、何を言って来ても信じられなくなる。正論を吐けばはくほどますます感情的にこじれる。

戦後の日本の産業を支えて来た東電など、各電力会社の実績も目に入らなくなっている。

東北の悲惨な状況を見ればその気持ちも分かる。が、いつまでもそうして空回りしていると日本は本当に沈没してしまう。今、船を動かす動力源が危機に瀕している時に、乗船客がいますぐ風帆船にしろ、と言ってるからと言ってそれに乗ってしまったら、それでどこへ行く?とおろおろしているようなものだ。

この二人は独善的に事を進めるつもりなのか、と思いきやそれほどの力量がないのがバレて、偽善的に振舞う。でも、それを自分では偽善とは気付いていないようだ。

人はよかれと思って結果的にはずいぶんひどいことをする。

「どんなに悪い結果になったことでも、それが始められたそもそもの動機は善意から始められた」

カエサルの言葉だが、そもそもその善意さえこの二人にはあったのだろうか。
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地産地消のエネルギー

再生可能エネルギーとしてまず思い浮かぶのが太陽光発電と風力発電だ。それは技術的にも産業としても確立されているから今すぐそこに設備を作れると言う利点がある。

太陽光発電に付いては「ほんとにクリーンなの?』と疑義を書いたが、風力発電に付いてはどうだろう。

風が吹く〜風車が回る〜発電 

という図式ではなるほどクリーンなイメージがする。
では実際に日本で風力発電設備を建設している地域ではどのように思われているのだろう。

以下のURLは伊豆の風力発電で起きている報告だ。

石廊崎風力発電

日本は地形的に民家と山地、海岸地帯が接近している。原発にしろどこかに何かを建てるには、そこに人がいるというのが前提になるだろう。
それに日本の気候条件が厳しい。普段生活している日本人は感じないかもしれないが、年に一度の台風で風力発電設備が倒れたら、あるいはプロペラブレードがはじけ飛んだら、もうその風車は発電しない。当たり前だけど。壊れたり故障したりした風車は撤去して、また建設するとなるとさらにコストがかかることになる。

おまけに耐震性にも対応しなければならない。ヨーローッパで建設されてる以上にコストがかかるのだ。
だからドイツでの事例でコスト比較するのは無意味。
また、ヨーロッパの高緯度地方のように平坦でもなく、年間を通して常に一定の風向きで風が吹いている訳でもない。くるくると瞬時に風向きが変わり、しかも時には強風に襲われる日本。強風時にはバンバン発電できるからいいじゃないかと思うかもしれないが、そうではない。強風時には発電機やブレードを守るために自動停止するのだ。
2003年9月の台風では宮古島の7機の風車が壊滅した。その時の風速は74m。ヨーロッパでは考えられない風だ。また国内最大規模の新出雲風力発電所(総出力7万8000kw)は2009年4月に営業運転を始めてからトラブル続きで、全26基がまともに運転できたのは計8ヶ月にすぎない(読売新聞7月16日)。

それに何より、一番の問題は太陽光発電や風力発電の電気を送電ネットワークで送電するということだ。これを業界では「系統連携」という。

これがなぜ問題かというと、例えば家庭内の100ボルトの配電の中に、
「そうだ、節電のために余った乾電池をつないで、電力の足しにしてやろう」と八つぁんが思ったと思いねえ(思わないか)。(=ε=)
家中の乾電池を66個かき集めて配線につないだらどうなると思います? 例えが悪かったかな?

まあそれほど乱暴なことでもないのだが、実は日本の送電ネットワークというのは世界でも類がないほど高品質な電力を供給しているのだ。日本に暮らしていると気付かないことだらけなんだが、この電気の品質ということを、政治家も一般人もまるで気付いていない。
このことがどれだけ産業界に益しているかということを知らないのだ。幸せな国なのか不幸な国なのかわからないね。

50ヘルツなり60ヘルツで発電(ものすごく精密に)、10万ボルトクラスで送電し、消費地の近くで変電して最終的には125ボルトで電信柱まで供給し、家庭内では110ボルトまで落ちつき、テレビや冷蔵庫がコンセントにつないだだけで途切れることもなく利用できるということはすごいことなのだ。
我が輩がオタマジャクシだった頃、いやもうちょっと足が生えてたかな。その頃には夏場によく停電があった。
電化製品をよけいにつけるととたんに電球が暗くなったりしていたのを、もう忘れちまったのかい、おまいさん。

クッォーツを使わない頃の電気柱時計が正確に動くのも精密な周波数のおかげなのだ。

そんな電力環境に不安定な電力を供給するということは、安定的に送電するためにどこかに負担がかかることになる。
しかも。太陽光発電は直流で、交流にするためにわざわざパワーコンディショナーという機器を併設している。
これが高い(値段が)、平均寿命10年だから壊れたら家庭用でも50万円は飛ぶ。

日本の自然エネルギーによる発電は水力を除いて1%ほどの規模しかないと言われているから、それくらいなら今のところ売電で供給される不安定因子もなんとかさばけているのが現状だ。

電力会社は何にもいわないけど(言っても誰も聞く耳がないからだと思う)、それらの再生可能エネルギー電力が20%や30%になった時。きっと困り果ててしまうと思うよ。

固定給のないフリーランスの不安定な収入以上に困ったことになる。

太陽光発電や風力発電といった電力は地産地消電力として使用する限りにおいて御利益がある。マンションの屋上や、ビルの屋上、民家の屋根などにそれらを取り付けて、災害による停電に備えるのもいいだろう。自家発電自家消費はもちろんだ。しかし、売電だけは迷惑な話だ。
いわんや、売電目的の田電プロジェクトなどという補助金狙いのプロジェクトというのはいかがなものか。
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事業仕分けされたにもかかわらず成果を出す・・日本人って・・

事業仕分けでスポーツ振興の予算が削られて、厳しい生活環境だったであろう女子サッカーの世界。にもかかわらず世界一となってくれた「なでしこジャパン」。本当にありがとう。なによりも試合内容がよかった。フェアプレイ、果敢な攻撃、相手選手からも賞賛を得るほどの戦いぶりだった。日本の誇りだ(ちょっぴりナショナリズム)。
同じく事業仕分けをされたスーパーコンピューター「京」も6月に見事に計算速度世界一となってくれた。

だいたいにして、民間活動の足を引っ張るのが政治家あるいは行政だ。それもこれも浅薄な考えで何でもかんでも仕切ろうとするからだ。大きな政治をやろうとするからそうなる。東日本大震災でも効率的な援助活動をやってるのは民間人で、政府はぐずぐずするだけで結果的に民間の援助活動の足を引っ張ってしまう結果になっている。

頼むから政治家は民間の邪魔をしないでくれ。そこにいるだけで邪魔だ。

かつて通産省の官僚が本田宗一郎に「ホンダは二輪車だけ作ってればいい」と言い放ち、自動車産業を統廃合して貿易自由化に対処するため国際競争力をつけようと画策した官僚がいた。それに切れた本田宗一郎は「ふざけるなあ!株主でもないお前に指図されるいわれはない!」とタンカをきった。それだけではない、「もしも4輪で日の丸を揚げることが出来たら切腹する覚悟をしておけ」と言ったのだ。官僚界の天皇と言われていた男に。

そして、F1メキシコGPで優勝し、現在のホンダがある訳だ。その後、その官僚が切腹したかどうかは知らない。

事業仕分けした連中もどのような覚悟でその作業をしていたのかは知らない。スーパー堤防もご破算になった(かな)。毎年のように自然災害に襲われる日本列島。その住民を守るのが為政者の役割だと思うが、数百年に一度の災害のために巨額な予算を認めるわけにはいかない、と言ったな、蓮舫。
では、数百年に一度の大津波で起きた原発の事故はどうだ。そんな考えられないような災害のため「全電源喪失の事態を考慮する必要はない」、と結論を下した原子力委員会の決定を詰れるのか?

官僚いじめをしている訳ではないが、能力のある官僚をうまく使いこなしてこその政治家だろう(自分には専門知識がないのだから)。理系に詳しいと自称してた菅直人君、もし君がわしの教え子だったら落第ですよ。まわりにいるスタッフをなんとかしなさい。君が喜ばしてるのは社会党と共産党だけじゃん。
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次世代の新エネルギー源

なでしこジャパン、感動したぜ〜

たった一日でアメブロから引っ越して参りました。なかなかいいカエルのテンプレートがないんだよね。わしが好きなのはkaeruninjaさんのスキンなんだが、http://kninjadiary.blog62.fc2.com/ テンプレートでは提供されてないようなので、「カエル、カエル〜、カエルのスキン〜」と探していたら変なサイトに行ったりして、それはそれで楽しめたけど、アメブロの「鳥獣戯画」でとりあえずブログを始めてみた訳だ。でも、引っ越しました。

先日の続きで再生可能エネルギーとしての太陽光発電と風力発電について書こうと思ったのだが、いちいちクサしてもしょうがないので、本題に入ることにした。

先ず第一に、この日本をどういう国にしたいかと言うのがビジョンとしてなければならない。
明治期のように富国強兵策をとるのか、ボーダレス時代なのだから、工場はどの国にあってもいい、仕事がなければお隣の国で働けばいいし、日本は江戸時代のように完全リサイクル社会を目指そう、というビジョンでもいい(わしはご免だが)。それに向かって、エネルギー政策を策定しなければ、「脱原発」の一言では、将来どっちへ向かっていくのかさっぱりわからなくて、産業界も経済界も「なになに。どういう意味〜?」と浮き足立つだろう。

わしは、戦後の日本がそうであったように、技術立国として繁栄して欲しい、と思っている。去年の「はやぶさ」の偉業のように、宇宙探査にも積極的に関わって欲しい。車でも家電でも日本製品は品質と信頼性に優れているという評価を受けて欲しいし。経済性に優れたの飛行機や船を造りたい、とも思う。
貧しい国があれば、学校を作り、病院を作り、人材を養成したりして援助してあげたい。喧嘩してる国があったら、出かけて行って、技術援助するからやめな、と言ったり、どこかで原発の事故があったら、出かけて行って、技術的なノウハウを持ってますからお助けします。と言ったり、そういうお人好しな国であって欲しい。

それには、まず経済力だ。金がなきゃ何にも出来ない。軍事力はないんだから。
そのためにはに安定的でコストの安い電力が必要だ。でも、原発は嫌だ、と言うのであれば、それに変わるものを作らなければならないのだが、少なくとも、それは太陽光発電と風力発電では代替できないと言うことを言いたかったのだが、細かいことは置いといて、では、代替エネルギーをどうすりゃいいのか、ということになる。

そこで、今注目しているのが「マグネシウム循環型社会」だ。東京工業大学の矢部孝教授が提唱している技術だが、「石油文明からマグネシウム文明へ」
このアイデアのいいところはマグネシウムをエネルギー源として使ってもCO2が出ない、マグネシウムをリサイクルに成功させれば資源の枯渇を心配しなくていい、日本独自のエネルギー源として使える。化石燃料を戦略物資として外交的な駆け引きから離れていられる。
難点は、技術的にまだ確立されていない、という点だ。クリアしなければならない技術的な壁が多々ある。詳しくは「マグネシウム文明論」PHP新書。

深海に眠るメタンハイドレートも非常に有望だが、これもまだ技術的に確立されていない。日本はこういう技術に積極的に投資しなければならないのに、矢部教授は日本では資金が得られないからと、米国でベンチャー企業と事業することになった。これは日本の損失となる。アメリカに技術を持って行かれてしまう。
孫正義の田電プロジェクトや、菅直人の1000万個太陽電池パネルに投資しても、そっちは袋小路に入るだけだ。投資した額以上のリターンはないから。

新世代のエネルギー源を開発するには後40年はかかるだろう。その間を化石燃料だけでは保たすことは難しい。
火力発電を液化天然ガスでやることにする、するとカラフトのガスプロムからの供給を受けることになるだろう。日本の商社が開発に参加しているのだからそうなる。しかし、ウクライナでのガスパイプライン問題でもそうだったように、ロシアは必ず天然ガスを外交の道具にする。依存度が上がれば、北方四島の返還は永久にあきらめることになるだろう。従って、後40年間は原発のお世話になるしかない。
原発なしの高コスト電力になれば日本の産業は海外に流出し、経済力は低下し、防衛にまわせる予算も縮小する。尖閣諸島を中国が実力で制圧下におけば、その時は日本は奪回する力を失っているだろう。日本の経済力の低下は国土保全も出来なくなり、シーレーンの防衛さえ出来なくなると言うことだ。

日本は近々のエネルギープランと30年〜40年先の将来を見据えたプランを示さなければならない。それが政治家の役割だ。
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太陽光発電はクリーンエネルギーなのか

一般にクリーンエネルギーと言うイメージで語られる太陽電池であるが、果たしてそうなのか?
太陽電池とはシリコンの薄膜で作られる半導体であるが、そのシリコンを生成するのに実は大量の電力を必要とする。その電力はどこからくるかというと、古典的なエネルギー源である火力や原子力なのど熱エネルギー源から供給されているのが現状だ。日本では今のところ水力を除く再生可能エネルギーの割合は1%だ。だから現時点では再生可能エネルギーでは太陽電池パネルを作れる状態ではない、とも言える。

では、孫正義が提唱するところの電田事業をやったとして、山手線内の面積の太陽光発電プラントを作ったとする。そこからは100万kwの原発1基分の発電量があるらしい(晴れてれば)。その電力を使ってまずシリコンから生成してみよう。1400度以上の温度で溶融し(電気炉なので純粋に電力のみ)次に、半導体を作るレベルの99.999999999%(イレブンナイン)というレベルほどは必要ないけれど、セブンナインと言われる純度まで精製する。
最近は電子ビーム加熱法など低コストの精製法も発明されたが、大量の電気を使うのに変わりはない。
一般にチョクラルスキー法という精製法でシリコンインゴットを生成するには1400度以上の温度で溶融したシリコンから、円筒状に回転しながら生成するというのが、シリコンウェーハーの製造法だ。これには厳密な温度管理が必要で、安定的な電力の供給が必須となる。この精製法にはインゴットを成長させるだけで数時間が必要となる。そうするうちに、太陽が陰ったり、夜になったら中止というか、完全に失敗となる。もう一度はじめからになるが、同じことの繰り返しだろう。
つまり、太陽光発電では太陽光電池パネルを作るのは非常に難しいということだ。太陽電池パネルを作れば作るほど、古典的な電力源が必要となる。しかも安価に大量にということであればなおさら。ならば、太陽光発電がCO2削減になるというのは嘘ではないのか?

そうして投入されたエネルギーを太陽電池パネルはその生涯において返却できるのだろうか?つまり、借りた金を利子抜きでいいから返却出来るのだろうか?
このエネルギーの収支をEPT(Energy pay-back time)と言うが、業界では利子を付けて返金できると言われている。
ならば、電気代は安くなるのでは?
投入したエネルギーより、より多くのエネルギーを生み出すと言うことなら、エネルギー保存の法則はどうなったんだろう?
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