archive : 2013 年 10 月

エピキュリアンとは

この本のタイトルを初めて見た時、はてさて、1417年にすべてを変えるほどの本があっただろうか?と読む前にいろいろ考えてみた。表紙からしてルネッサンス期のイタリア半島の話だろう。日本で言えば足利義持の時代。ヨーロッパはカトリックが大シスマの時代で教皇が3人も乱立していた時代。そんな時代になんかあったっけ?

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コンスタンティノープルがメフメト2世により陥落したのが1453年、それによって、東ローマに蓄積されていた古代ギリシャ、ローマ時代の写本と知識人が大量にイタリアに流入して来たのはそれ以降。コジモ・メディチが『ヘルメス文書」写本をビザンチンから手に入れたのもそれ以降だ。アルキメデスも、プトレマイオスの『アルマゲスト」も再発見されたのはイスラム経由の写本からで、十字軍の時代に一部が伝わったが、完成写本として伝わったのは15世紀半ば以降だ。

1417年の本に該当するものを思いつかないまま読み始めた。それは「物の本質について De Rerum Natura」という写本の発見だった。埋もれた写本発見の詳細は本書にゆずるとして、簡単に言うとコンスタンツ公会議に出席した教皇のお供、秘書官ポッジョ・ブラッチョリーニが、以前から古代ローマの写本に興味があり、自らにしてラテン語の研究者でもあるので、趣味としてブックハントをしていたのだ。そしてフルダ修道院で見つけたのが件の『物の本質について」だったというわけ。この本の原本が実際に書かれたのは紀元前54年頃でローマのティトウス・ルクレティウスが書いたものだ。カエサルが第2次ブリタニア遠征を行っていた頃、カエサルの時代を迎えようとしていた頃だ(わくわく)。
『物の本質について」は、もともとはギリシャの哲学者エピキュロスの『原子論」をもとに書かれた哲学詩である。だから、ここで真のエピキュロス像を知ることも出来る訳だ。『原子論」といえばデモクリトス。ソクラテスと同時代人だ。それから100年後、エピキュロスがその原子論のお鉢をを受け継いでいた。アレクサンドロス大王の同世代の人、ということはアリストテレスの次の世代の人。と、ワシの興味はエピキュロスの方に傾いて行く。

『万物は目に見えない粒子で出来ている。それ以上分割できないもの『アトム』、万物はこれらの粒子によって形成され、やがて分解し、最後にまた粒子に戻る。不変で、分割できず、目に見えず、無数に存在するそれらはたえず動いており、互いに衝突し、結合して新しい形になり、バラバラになり、また結合し存続する」
『宇宙はアトムと真空だけで出来ている。他には何もない」。

と、ここまではデモクリトスの原子論だ。ここからエピキュロスの宇宙観が導きだされる。抜粋すると。

『宇宙には創造者も設計者もいない」
『万物は逸脱の結果として生まれる」
『宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない」
「霊魂は滅びる」
『死後の世界は存在しない」
「われわれにとって死は何ものでもない」
『人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減ずることである」

ものすごく近代物理学的でしょ。まだ望遠鏡が発明される1600年前、月がエーテル世界に浮かんでいる天体だとされていた時代ですよ。これが、中世のキリスト教世界に受け入れられる訳がないのは明らか。なので、発見者のポッジョも異端ではないと言う姿勢を崩さずに(その後も半世紀ほど教皇秘書を続ける)、写本を友人たちに貸したりして知識人仲間に広めて行ったという訳。それが巡り巡ってガリレオやジョルダーノ・ブルーノらに繋がり、ニュートンやアインシュタインに繋がって行ったということをこの本は伝えている。そうだとしたら、ありがとうポッジョ。幸福に一生を全うしてよかったね。

エピキュロス哲学はキリスト教徒には受け入れられないものだから当然攻撃される。そうして出来て来た言葉が『エピキュリアン」=「快楽主義」という概念だ。つまり侮蔑だね。
じつはエピキュロスほど『快楽主義」とほど遠い生活をしていた者はいない。食生活は質素で、お呼ばれした客人があきれるほどの粗食だったそうだ。彼は「知的な快楽」を求めていたのではないだろうか。この宇宙の真の姿を知りたい、と思っていたのではないだろうか。その意味でわしはエピキュリアンである。
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