archive : 2013 年 12 月

靖国参拝

いやあ驚いた。無事にクリスマスも過ぎて、波風なく2013年も暮れるのか、と思っていた矢先にもう一波乱。
わしにとっては衝撃ニュースだった。

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テレビの中継に釘付けになってしまった。
空撮による黒塗り車列の実況中継。九段界隈の鳥瞰図とはこんな感じか、中国、韓国からの非難合戦がまた一段とひどくなりそうだな、などと連想しつつ中継に見入る。

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現職首相としては7年4ヶ月ぶりの靖国参拝だそうだ。しかし、なぜに、靖国神社参拝という行為が『わしにとって衝撃のニュース」になるのだ?と自問してみる。

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この国の礎になった英霊達の鎮魂をするということは、ごく自然のことであり、他国から掣肘されるいわれはない。近年ぎくしゃくとしているが、経済的には深い結びつきを持つ互恵国であるはずなのに、日本はかの国からひたすら非難を受ける。

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その2国に共通するのは朱子学の土壌があるということだ。前にも書いたかもしれないが、朱子学というのは簡単に言えば、「誰が正当(正義)か」ということを追求する思想だ。
つまり、「俺様が言うことが正義なのだから、お前は間違っている」ということを言うだけの思想で、そこに科学はない。科学というのは『疑問を持つこと』『問いかけ』であり、経験値を観測し分析することだ。
だから、朱子学的発想で会話する限り、日本人の文化的、伝統的な行動をいくら説明しても、理解はされない。

日本人は朱子学的伝統も持ってるから、彼等の発する批判も理解できないではない。なまじ言うことが分かるものだから、つい頭も下げてしまう。だからどこかの新聞が騒ぎ立てる前はごく普通に行われていたことが、国際的問題にまで発展し、「参拝遠慮」という状態にまでなってしまっていた。

それを良しとしなかった、というのが安倍首相だろう。さてさて、事態は違う段階へ移行する。首相の覚悟と、これからの日本人の覚悟が問われる2014年になりそうだ。
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岩倉使節団

ご存知の岩倉使節団。教科書に必ず載っている出来事ですね。
この本は、使節団総勢107名、1年9ヶ月に及ぶ地球一周大旅行の記録、研究書だ。明治4年、廃藩置県で維新の総仕上げを断行した直後に、政府要人多数を引き連れての大旅行であった。今考えても、よくそのタイミングでそんなことが出来たものだと感心する。いったい何が彼等を突き動かしたのだろうか?
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その理由は本書を読んでいただくとして、その大旅行を可能ならしめた交通の革命が完成しつつあったというのも見逃せない。それは航路と鉄道による交通網の構築だ。それを支えているのが石炭エネルギー。ジェイムズ・ワットの蒸気機関発明から90年たった使節団の時代、文明を支えていたのがそのエネルギー源だ。使節団はアメリカで、イギリスでドイツで産業の基盤となるその巨大なシステムを目撃する。
使節団が渡欧する2年前の1869年11月にスエズ運河開通。同じ年の夏、アメリカ大陸横断鉄道の最後の線路がユタ州で繋がり、太平洋航路と合わせて地球一周が費用さえ払えば誰でも利用できる環境になっていた。もちろん、使節団はその恩恵を直に受けながら洋行する。ちょうど、トーマスクックの世界旅行ツアーが始まり、ジュール・ベルヌが「80日間世界旅行」を出版した頃でもある。
その文明の利器もつぶさに観察。メンバーの中には開化開化と浮かれる連中を苦々しく思っていた超保守派も同行していたが、蒸気機関による交通網構築には理解を示すようになる。彼等が横浜を出港して10ヶ月後に横浜〜新橋間の鉄道が開通するのだ。
逆に、日本人は全員キリスト教徒になって西洋文明を取り込むべきだ、という持論を持っていた開化急進派も、実地の西洋文明を目の当たりにして、それが思い違いだったことに気付く。というような効果もあった。
同じ事象を見ながら何も思い至らない人間もいるのが世の常だが、この時の使節団は違った。江戸時代に薫陶された知識階級の人間である彼等、彼女らは、見てくれだけの現象には惑わされなかった。物事の本質をつかもうとしていた。いったい、西洋文明とは何なのか?日本はどうあるべきなのか?人口的には日本と変わらないイギリスやフランスのこの富貴とは何なのか?彼等は良い観察眼を持っていた。良い教師と反面教師を比較する目も持っていた。特に、詳細で正確な記録をし、公式な報告書もまとめた佐賀藩士久米邦武の観察眼がすごい。大久保利通をはじめ伊藤博文の政治家としての成長もこの旅行がきっかけであったのではないだろうか。
西洋文明をそのまま丸ごと日本に移植しようとする考えは改め、物事の本質を見極めつつ、日本にあった形で移入しようとする、換骨奪胎は日本人の真骨頂である。

明治政府の本当の狙い、各国との不平等条約改正が生半可なことでは行かないことを、彼等は身にしみて理解する。それが成し遂げられるのが、これから20年後の日清戦争直前の1894年に締結した日英通商航海条約によって(99年に施行)、ようやく治外法権撤廃にこぎ着ける。

筆者は泉三郎氏。久米邦武の岩倉使節団日記をもとに現地を探訪して著した力作である。
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