archive : 2015 年 11 月

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ようやくこの本を読めた。タイトルとおり、沖縄の利権構造をあぶり出す著作だ。平和と人権、反戦と護憲を唱えていれば
誰も反論できない立ち位置から自分たちの利益を導入して行く構造がよくわかる。

沖縄の不都合

その利益導入者とは誰なのか。著者は沖縄に巣食う公務員、政治家、土建屋、地元の新聞マスコミなどを弾劾する。彼等は米軍基地がらみの補助金、政府からの経済振興策としての補助金など、数百億円規模の金を引き出している。それを沖縄県全体に分配して住民の生活向上に役立てているのならまだ良い。それどころか、富を上位階級者がほぼ独占している状態なのだ。
その構造は、明治の「琉球処分」にまでさかのぼると言う。
それまでの琉球王朝は、観光イメージにあるような牧歌的な時代ではない。農民二人で士分(サムレー)一人を養って行かなければならない、世界でも例のないくらい農民にとって厳しい社会だった。ワシは、李氏朝鮮時代の両班こそ、吸血鬼の名にふさわしい者はいないというのが持論だが、農民二人で両班一人を養っていた社会と同等だ。
その厳しい琉球の人頭税が廃止されたのは1903年になってからのことだった。
明治政府は1876年に『秩禄処分」で40万人の武士(公務員)を一斉解雇したが、琉球では大きな反発に手が回らなくて、先送りしていた。それでは、日本人となった沖縄の農民は琉球時代と変わらぬままだったので、ようやく、本土から公権力(警官など)を派遣して、沖縄でも税制改革をする事が出来たのだ。では、それまでの旧勢力であるサムレー達はどこに行ったのか?それが新たな役所である沖縄県の公務員になったのだ。
知識階級であるだけにそれは適材適所の人材登用ではあるだろう。だが、彼等の伝統として、農民のことは頭にない。彼等にあるのは自己保存の本能だけなのだ。これは、李氏朝鮮の両班文化とそっくりだ。そして、慰安婦問題でもそうだが、自分たちを被害者だと言いつのって、少なからぬ利益を導入しようとする精神構造もそっくりなのだ。
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