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海彦と山彦

松下政経塾のことについて少し書いたので、ここで、その松下政経塾出身者でもある宮城県知事村井嘉浩氏について考察したい。ただし、わしは知事本人とお会いしたことがないので、これまた報道やネットでの情報からの考察である。実際に宮城県民がどのように評価しておられるのかも知らない。
知事は防衛大学校卒の自衛官で、退官された後松下政経塾に入塾、県知事になられたと言う珍しい経歴の方である。先日、復興担当大臣だった松本龍との一件で全国的にも注目を集めた。その一件でのやり取りを見ていても、人物であることが分かる。少なくともこの非常の時に、この知事でよかったのではないか。もしも、この非常時に菅直人や鳩山由紀夫のような人物が知事だったとしたら・・・。ぞ〜っとするでしょう(小沢一郎については別に考察したいと思うので、ここではまな板にのせない)。比べるだけ失礼かもしれないが・・・・。

村井知事は大震災復興策として「水産業復興特区」というアイデア掲げ地元の水産業者との折衝にあたっておられるとのことである。
その「水産業復興特区」の構想に付いてだが、簡単にいうと沿岸養殖魚に民間企業を参入させ、資本的にも設備的にも苦境に立つ水産業者を資本面から援助しつつ沿岸養殖業を復興させようという構想だ。つまり、水産業者は自分たちが持つ漁業権を一旦民間企業に預け、漁業を再開しつつ、給料制で生活を立て直す、というアイデアだ。
これを聞いたとき、うまいことを考えるなあ、思ったのだが、当の水産業者が大反対していたのをニュース映像で見た。これだけ見てると、知らない人は既得権益者が新規参入者を拒否している構図ではないかと思ったかもしれないが、わしはまた別の感想を持った。

宮城県民の方なら同地出身の作家熊谷達也氏を当然ご存知だと思うが、知らない人のために簡単に紹介すると2004年に「邂逅の森」で直木賞を受賞された方である。そのマタギ3部作である「相克の森」「氷結の森」をあわせて通読すると、日本の狩猟民の精神文化を少しでも理解することが出来る、お勧めの小説である。
これらの小説からも想起されることだが、三陸の水産業者があれほど反対しているのは、この狩猟民としての精神文化からではないのか、と思う。
当の水産業関係者はきっとそんなことには気付かずに、「なんか嫌だ」と思ったのではないか。説明できない気持ちから、つい、「事前に説明がなかった」と理由にならないようなことで怒ってしまう。
自分たちの精神性を説明する言葉がないのだ。その機会もなかったし。狩猟民としての精神を現代にも受け継いでいる人々なので、何にも言わなくても、まわりの仲間は暗黙の了解で理解し合えた環境にいたので、あえて説明する必要がなかったのだ。

それを。知事の復興策が揺さぶった。理性的に考えれば納得のいく救済策かもしれない。とりあえずの生活の足しになるし、民間資本による機材設備も一新できるかもしれない。しかし、彼らは嫌なのである。その復興策は敢えて言えば、農耕民的な発想なのである。
なぜかというに、給料をもらって狩猟する、という文化が彼ら水産業者にはないのだ。たとえ養殖業であっても、かれらは漁りの民なのだ。獲物が穫れようが穫れまいが、それは己の能力を傾注した後に付いてくる結果であって、その結果を受け入れ、獲物が穫れれば神に感謝し、共同体全体で獲物を分け合う。穫れなければ我慢する。他の事で急場をしのぐ。そうして生きて来たのだ。
猟場を隅々まで知り尽くし、獲物と知恵比べ、力比べをする、それが楽しいのだ。そうした彼らの自然との向き合い方が、30年前から山に樹を植え、巡り巡って入り江を豊かにする、という知恵を生み出す。

村井知事には、そうした彼らの狩猟民精神文化を理解していただきたい。

「水産業復興特区」を押し進めるのならば、先ず、参入して来る意欲のある民間企業の選別である。誰でも参入可というのは理想であるが、地元水産業者の漁業権の共同運営ということになるので、マリアッジがよくなければ不和となって事業も失敗するだろう。だから、民間参入企業の資質が重要だ。

政治は「リアリズム」であるといえる。精神文化だの伝統だのをこの非常時に汲み取っていたのでは前に進まない、と言われるかもしれない。それは正論である。そういわれるともう返しようがない。ただし、それは福沢諭吉的リアリズムである。目に見えている事しか考えていないと言う合理主義だ。
対して、勝海舟は幕末の中で、最も合理的精神を持っていた人物だが、その上に「幕臣」という身分も背負っていた。
そんなものはうっちゃりたい、と本音では思っていたかもしれないが、最後まで幕臣であり続け、どんなに時間がかかっても徳川家の名誉回復に全精力を費やした。それがようよう叶えられたのが明治31年、徳川慶喜が明治天皇に謁見出来たときだ。これにより、徳川は朝敵ではなくなり、名誉回復した。海舟が没する10ヶ月前の事だ。
海舟は時代の合理精神も十分持ち合わせながら、見えないもの、日本の伝統社会、徳川家の名誉、それら切って捨ててはならないものにまで目をかけ続けた、という事を想念して欲しいのである。
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