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悪役とヒーロー

最近とみに注目されているユーチューブ動画と言えば、7月27日の衆院厚生労働省委員会での児玉龍彦教授の発言だ。
放射線医学の専門家であり、現場を知る者の説得力ゆえに、ということだろう。知らない人のために以下に動画サイトをおく。

児玉龍彦教授動画

これは静止画
児玉龍彦教授









この時期に何故に児玉教授の人気が上がったのだろうか。まるでヒーローのように。確かに、教授の福島での除染活動には頭が下がる。生半可な思いで出来る活動ではない。

3.11以来、マスコミでは数限りなく専門家があらわれ、いろんな事を言っていた。中には「ホンマかいな』と生活の実感として納得できない話があったり、「ナルホドー」と納得してしまう解説もあった。その差はいったいなんであったのか。信じられる知見というは何であるのか、視聴者にも勉強が求められる事態となった。

前者の「ホンマかいな」ネタで有名なのは、この児玉教授発言でも言及があった大橋弘忠東大教授の発言である。

大橋教授の発言要旨は「プルトニウムの毒性は誇張され過ぎている。(中略)仮にプルトニウムが水源地に(テロリストにより)投げ込まれたとしても、プルトニウムは水に溶けないし、仮に人体に入ったとしても排出されるので問題はない」という、とにかく原発は安全なのよ発言に対し、
いや、放射線はほんの少量でも人体に影響がある、とにかく原発は超危険なのだ。原発は人間が管理できるものではないのだ、という反原発急先鋒の小出裕章京大教授(ラドン温泉には入るなという事か)。どちらも、原子力発電の専門家だ。同じ専門家がどうして両極端の意見になるのか、物理学とはこの宇宙に共通した普遍の法則を探究する学問であるはずで、ならば同じ結論が出てしかるべきなのではないのか?
わしにしてみれば、この二人の言ってる事はどちらも真なのである(極端すぎるが)。説明は後日。

この両極端のキャラクター二人とは、違う立ち位置に児玉教授が現れた。不毛な右翼と左翼のののしり合いのようなステージから別の視点を与えられたようなものかもしれない。

児玉教授は何を言わんとしていたのか。
彼は、反原発とは一言も言っていない。彼は、福島で実際に除染活動をし、その際の政府の不手際、理解のなさ、法律の不整備に対して怒りを表明しているのだ。実践的な方策も提言している。つまり、

放射線汚染による被害を、日本の科学技術を総動員して乗り越えようと呼びかけているのだ。

と私は受け止めている。
そのためには現場を熟知した専門家、その専門家の言わんとしている事を理解できる行政側(政府や役人)、そして正確な情報を分かりやすく広報できるスポークスマン(マスコミが担ってもいい)が必要だ。その三者がいなければ迅速な救済対応が出来ないのだ。そして膨大な金がかかりますよと。
(原発事故初期に、東電には優秀なスポークスマンがいなかった事がさらに不信感を増幅した)

人々は放射線汚染による不安感のため、東電をとにかく悪者に仕立てようとする。政府は批判されてしかるべきだが、原発利権屋として原発擁護派や東電擁護派を叩く。叩けば何か解決する訳ではないはずだが、気は晴れるかもしれない・・・。
あげく、「電気と命のどっちが大切なの!」と問詰められる。
なんか、「戦争と平和とどっちが大切なの!」と言われてるみたいだ。「そりゃ、平和に決まってまんがな・・・」。

安心したいがために「何ミリシーベルなら大丈夫なの?何ベクレルなら食べてもいいの?」と、とかくシーベルト単位で目安を求めようとする。その不安感も分からないではない。
東京在住のカエルが何を偉そうに、と思われるかもしれないが、わしは長崎生まれの被曝2世でもあり、放射線による被害に関しては一言申し上げてもよいのではないかと思う。

長崎の原爆はプルトニウム型でTNT22キロトンの破壊力があった。地上500mで爆縮核爆発。直接の死者7万人以上。その後の放射線被曝や熱線による死者がさらに7万人。戦後も放射線被害で大勢の人が苦しんでおられる。
しかし、長崎は(広島も)死の町とはならなかった。
あの当時、原爆という言葉を知るものはいなかっただろう。放射線による人体への影響を考えて生活できる者も皆無であったろう。
そういう威力を起こしたプルトニウムの量というのはどのくらいだったかと言うと、たったの6kg。大きさにすると」野球のボールくらいか。その全てのプルトニウムの原子核が反応して核爆発した訳ではないのでいくらかの残存放射線核種が残ったであろう。
かりにプルトニウム核種が飛散されたとして、それらはどこに行ったのであろう。
結論から言うと全世界に拡散したと思う。
核爆発後、一体どれほどの放射線量を日々浴びていたのか、資料は残っていない。米軍が持っていたかもしれないが、公になったデータをわしは知らない。
で、何を言いたいかというと、それほどの放射線量を浴びながら、亡くなった人もいるけど、生き延びている人もいるという事実だ(第五福竜丸の事件でも生存者が健在)。放射線障害でなくなった人々だけを見ていけば、小出教授の言うように核は「悪」に映るだろう。生き延びて、今でも元気に生活人だけをみれば大橋教授のような楽観論になるかもしれない。
つまり、人は自分の都合のいい物しか見ないという事だ。

わしが忌々しく思うのは兵器である原爆と、原子力発電を同列に論じる輩だ(代表は大江健三郎)。だって、同じ放射線じゃん、核物質じゃん、と思うかもしれないが、そうではない。説明は後日(面倒だから忘れる可能性有り)。
この程度の認識の先には「暴力装置でもある自衛隊」(仙石由人談)という発想が生まれる。
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