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原爆と原発

8月9日、長崎原爆慰霊祭で菅直人は案の定「原発に依存しない社会の実現云々‥‥」とスピーチをした。
先日のブログにも書いたが、わしは原発と兵器である原爆が同列に扱われ、まるで同じものでもあるかのような言説を耳にするたびに忌々しさというよりも、怒りさえ覚える。
なぜそう思ってしまうのか考察してみたい。

長崎原爆記念式典

広島・長崎の原爆慰霊祭とは、先の戦争で投下された原爆で亡くなった方々の御霊を慰霊するものである。米国による一般市民への大量殺戮兵器使用の是非はここでは述べないが、あの日から66年を経た今年は米政府代表が出席するなど、時代の変化を感じるものがあった。

朝鮮人原爆犠牲者を追悼するために韓国からも高校生が参列したと言う、それはいいとして、「ちょっと待て」と言いたくなるのは福島のいわき市立中学生の出席だ。
同じ被曝被害者だからだという事かららしいが、ここでも、原爆=原発の図式がある。
放射線被害の事を学ぶのになぜ長崎の慰霊祭に出席する必要があるのだ? もちろん、長崎に来るなとは言わない。だが、この事の裏に企画をした人間の思考が読み取れる。
原発とは人間が制御できない危険なものであり、核燃料を扱っている以上廃絶すべきだ、というメッセージをこの中学生達に植え付けている。
この中学生達は、ごく自然に原発=原爆という思考を持つだろう。何の疑問も持たずに。

戦争をなくすには平和憲法が必要で、軍隊は悪だ。軍隊は廃止すべきだ。という論理と一緒で、原発を悪と決めつける。原発と原爆がどのように違うかというと、原材料が同じという以外全て違うものだと言う事も分からずにだ。

例えば、黒色火薬を使う兵器と花火の違いは?大陸間弾道弾と宇宙探査ロケットの違いは?航空機と戦略爆撃機の違いは?
これらの違いには誰でも簡単に答えられるだろう。それなのになぜこんなにも違う原発と原爆をいっしょくたにするのか理解できない。しかも、東工大で原子物理学を学んだ、「俺は原発には詳しいんだ」と啖呵をきった菅直人がである。同レベルで原発廃止などとのたまわる。今年始めにはベトナムに原発のセールスに行って好感触を得ていたにもかかわらずだ。

3.11以降、福島第1原発の事故で東電と原発技術力を誇っていたメーカーは信用を失墜した。しかしである、それにもかかわらずベトナムもトルコも日本の技術による原発が欲しいとラブコールしてくれている。
彼らの目にはこの震災に耐えた原発の方が目に映っているのである。
これほどの地震と津波にもかかわらず、福島第1原発以外は全て安全に停止している。他の国で、このような対応が出来る原発があるだろうか?
だからこそ、ベトナムとトルコは日本からの入札参加をあきらめきれないのだ。この円高にもかかわらず。その思いに答えようとは思わないのか。

今回の震災レベルを乗り越えられる技術力が日本にはある、世界一安全な原発を作る能力もマネジメントも打ち立てる事が出来る、とそう断言してこそ日本の政治家なのではないか。

ここで原発と原爆の違いに付いて簡単に説明しよう。ごくごく簡単に言えば、原爆は核燃料を一気に反応させることで発生する熱エネルギーでものを破壊する兵器。原発は核反応をゆっくり起こして、ゆるゆると燃やして熱エネルギーを回転エネルギーに変換して電力を得る仕掛け。
原爆のように、一気に反応させる核反応のためには、核燃料となるウラン235を濃縮して純度を上げなければならない。兵器級と言われるウラン235の純度はほぼ100%だ。それに対して原発で使用するウラン235の純度は4%くらいでいい。
原料であるウラン235だけをとってもこの違いである。

北朝鮮で問題になっているウラン濃縮工場というのが、この原発級の濃縮なのか、兵器級の濃縮施設なのか、という事が検証できなくて問題になっているのだ。

いちいち説明しないと分からんのか、という苛立ちと、原発と原爆は技術的にはこれこれこのように違う技術なのですよ、と諄々と説明しても、同じように危険視する輩は聞く耳を持っていないのだ。それがわしを苛立たせる。
AKBの誰かがTシャツに「Little Boy」と書いてあった、とクレームを入れた人間達、これなども、「我々の悲しみが分からないのか」とでも言いたいのか。何の意味もない言葉狩りではないのか。これからは「デブ」というのを英語では言えないな。おっと、差別用語か。



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