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征韓論再び

野田首相の竹島問題に関する、李明博への親書を韓国から突っ返された。
理由は、「竹島」と記述されていたからだそうだ。

R0013652.jpg

という事は、韓国大使館では親書の中身は読んだ、と解釈していいのだな。

R0013653.jpg

この一連のニュースを聞いて、今から140年前、「征韓論」が日本の政界と世論を騒がせた事件を連想した人も多くいる事だろう。

明治6年の「征韓論」騒動には前段がある。明治維新の直後に、当時、李氏朝鮮と外交の役目を担っていた対馬藩から、「明治維新をしたのでよろしく、徳川幕府は終わったけどこれからも仲良くね」と言う意味の通告書を渡した。だが、李氏朝鮮は受理を拒否。
その後、何度か日本新政府から使節が派遣されたが、頑として交渉を拒んだ。その高ビーな対応に憤慨して、日本で「征韓論」がわき起こったのだが、その交渉拒否の理由の一つが、日本国「天皇」の呼称だったのだ。

それまでの日朝間の国書には日本の主権者として「日本国王」あるいは一時的に「大君」という呼称が使われていた。
いずれも、中華思想による、中華皇帝を天下の主権者と見なし、その臣下であるとする呼称だ。だから朝鮮国王も「国王」である。しかし、李氏朝鮮は、当時異民族王朝だった清よりも、中華の正統を引き継ぐのは自分たちであると言う強烈な自負を持っていた。
それなのに、東夷であると見下していた日本から、「天皇」などという、自分たちの王よりも上位の呼称を使った国書を渡されたのだ。
いやあ、怒った怒った。なんでそんなに怒るの?と現代日本人なら思うだろうが、これは大変な問題だった。

んで、140年経った現代。まさか同じ論法でくるとはね。さすが、「朱子学の本家」である。

問題の本筋とは違うところを攻撃し門前払いを食わす。民主党が尖閣諸島問題で使う手でもある。
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