NEW!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category : スポンサー広告  comment : × track back : ×

ロレンスがいたアラビア

『アラビアのロレンス』と言えば、デヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演の映画で有名なあれだ。イギリス映画にしては雄大な映画だった覚えがある。

ロレンス

その主人公であるT・E・ロレンスの目線を通して、アメリカ人ジャーナリスト、スコット・アンダーソンが第一次世界大戦の中近東を舞台に国際情勢を描ききった作品だ。
第一次世界大戦史は色々な作品で研究したが、アラビアを舞台にしたものは良い作品がなく、どれも分かりにくかったので、片手落ちだな、と思っていた時に出会いました。
その、分かりにくい状況を、分かり易く、見事に活写してくれた。
今に続く中近東のこんがらがった不和、それどころか、憎しみの連鎖はどこから来たのか。日本人にはいまいち分からない世界が、実に良く見えるようになった。そうだったのか〜。と感心しきり。
主人公であるT・E・ロレンスの人物造形も興味深いが、当時のプレイヤー達の人物描写も面白い。
よく悪し様にい合われる「サイクス=ピコ条約」のマーク・サイクスとはどのような人物だったのか、とか。ロレンスのカウンター・パートナーであったファイサル王子とはどのような人物だったのか、とか・・・。

今では信じられないが、第一次世界大戦が終結する頃、パレスチナやシリアの委任統治を英仏ではなく(とても信用できなかったから)、アメリカに任せたいと、ユダヤ人にもパレスチナ人にもアラブ人も熱望している人々がいたという。
しかし、実際にそうなることはなかった。ウッドロー・ウィルソンの「14ヶ条の平和原則」で描かれている「民族の自決」などというものは英仏に鼻も引っかけられなかったし、中東に無知で素人のアメリカ人が来ても、混乱を招くだけだろうとアメリカ自身の(野党の)判断もあったからだ。

歴史にもしはないと言うが、もしあの時、とつい思ってしまう。T・E・ロレンスが目指していたようにアラブの独立国が出来ていて、ファイサル王子とシオニストのハイム・ワイツマンの協定が生きて、ユダヤ人のパレスチナ入植が穏健なものであったら、現在はどうなっていただろう。と、つい想像してしまう。

人類はいつも正しい選択をしていた訳ではないが、なんとか現代まで生き延びて来られたのは、何とかしたいと思っていたからだろう。そんなことを考えさせられる作品だった。
category : ブログ  comment : 0  track back : 0

反知性主義とは

『反知性主義』という言葉をよく聞くようになったのは1年ほど前か。「安全保障関連法案」をめぐって、シールズとかいう団体がマスコミにもてはやされていた頃だ。

反知性主義

彼等のシュプレヒコールやマスコミの扱われ方を目にしていると、耳に入ってきた「反知性主義」とは知性がなさそうな彼等のことだとばかり思っていたのだが、そうではなくて、当時は彼等が安倍首相のことを『反知性」だといってのけていた。
いったいどういう文脈かいな、ということで今頃読んだのがこの本だ。いやあ、面白かった。最初の1ページ目から面白かった。『反知性主義』というキーワードからアメリカ史を解説しているのだが、戦争史や政治史だけを読んでいても、いまいちアメリカのキャラクターを、そういうもんか、と思いつつ理解していたつもりだったが、片手落ちだった。キリスト教という視点からも見ておくべきだったのだ。
もちろん、アメリカが基本的にはキリスト教社会だということは知っている。だが、アメリカのそれはアメリカン・クリスチャンだったということを理解しなければ見えて来なかったのだ。アメリカに土着化したキリスト教、それはいったいなんだったのか。

まず、ロナルド・レーガン元大統領の葬儀のシーンから始まる。そこで読まれたピューリタン指導者ジョン・ウィンスロップの説教が故レーガンの遺志によって読み上げられる。ワシはレーガンとピューリタンはイメージが重ならないのだが、じつはその説教は故レーガンの座右の銘だったのだ。
アメリカ独立宣言の中の有名な一説、「全ての人間は平等である All men were created equal」(対象者はmenなの?とつっこむ)が盛り込まれた背景が説明される。
合衆国憲法は史上初の政教分離を謳った成文憲法だが、その1年前にヴァージニア州で『信教自由法」が成立している。それは、信教の自由だけではなくて、『無宗教」である自由も保障されている。それはいったいなぜか?
という具合にアメリカ史を解説しているのだが、これらはアメリカ史を勉強している人々には常識なことなの?ワシは知らなかったのだが。
国会前で現首相を罵っていた若者達や、その尻馬に乗ったような政治家達、知識人(???)たち、彼等は知ってたの?『反知性主義』ってどこから来たのか?

アメリカは建国前の植民地開拓時代から信仰復興運動、リバイバル運動が何度も起きていた。まるで熱病のように流行がおき、近代に至ってそれは興行化される。現代アメリカでよく目にする『テレビ伝道」もその流れだ。その宗教伝道をする説教師には牧師という資格さえ要らない。ハーバート大やプリンストン大を出ていなくても良いのだ→知識なんか(資格)なんか要らない→神の前にヒトは平等なのだから。という強烈な平等意識から『反知性主義」という思想が生まれた。時代が下り、その反知性主義と実利思考のビジネス精神が結びついたのがアメリカン・クリスチャンだったのだ。

最後に著者が締めくくる。知性とは何か?最近の政治家や若者達に知性が見られないとか、本を読まなくなったとか、知性が欠如している状態ではなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのだ、と。知性が知らぬ間に越権行為をしていないか、自分の権威を不当に拡大解釈していないか。そのことを敏感にチェックするのが『反知性主義」である。そもそも、知性にはこのような自己反省力が伴っているはずであるから、そうでない知性は知性ではなく、やはり知性が欠如しているのだ、ということも出来る。したがって、反知性主義とは、知性の有る無しというより、その働き方を問うものである。
category : ブログ  comment : 0  track back : 0

ドイツの脱原発がよくわかった

約1年前に書かれた本なので最新刊ではないのだが、遅ればせながら読ませていただいた。筆者の川口マーン恵美氏はドイツのシュツットガルト在住の作家であることもこの本で知った。驚いたことに、筆者はピアノ学科ご出身の芸術畑の方だった。日独の原発のことをかくも詳しく調べ上げ、電力史のことまで調査されているから、きっとリケジョなのだろうと漠然と思っていたので意外であった。

ドイツ脱原発

結論から言うと、とてもよく出来た本である。物理の素人である作者が、同じく素人であろう読者に対して、分かり易く書かれたと思うが、その表現力は並大抵の努力ではなかったと思う。その情熱を支えたのは、作者が言うように、「日本はドイツの脱原発モデルを真似ては行けない」、という思いだ。なぜそうなのか、ということを、両国がおかれたエネルギー事情、国民性、などを披瀝しながらルル述べている。
作者は現場にも行く。福島第1原発はもちろん。日本史上最大の震度6を記録し、13mの津波にも耐え、ガラス1枚割れなかった女川原発。対津波工事の真っ最中だった浜岡原発にも行かれている。何よりも頭が下がるのは、日本の電力史にも光を当て、日本で最初の長距離送電に成功した山梨県の駒橋水力発電所に行かれて取材されていることだ。
この水力発電所のことはワシも初耳であった。日本人が明治以来、国家国民のために営々と努力してきた電力マンの歴史文化があればこそ、3.11大震災の停電のあと、たった数日で電力を復旧させたことに繋がったのだ。
その先人達の努力のおかげで良質な電力を好き放題に使い続けてきた都会人が、電力会社を悪し様に罵っている。それも、政府の頂点に立つ者がだ。
当時の首相菅直人は東京工業大学理学部応用物理学科出身者だ。その専門知識があるはずの者が、ピアノ学科出身の作者の足下にも及ばない、知性も洞察力も持ち合わせないというのはいったいどういうことだろうか?
category : ブログ  comment : 0  track back : 0

ようやくこの本を読めた。タイトルとおり、沖縄の利権構造をあぶり出す著作だ。平和と人権、反戦と護憲を唱えていれば
誰も反論できない立ち位置から自分たちの利益を導入して行く構造がよくわかる。

沖縄の不都合

その利益導入者とは誰なのか。著者は沖縄に巣食う公務員、政治家、土建屋、地元の新聞マスコミなどを弾劾する。彼等は米軍基地がらみの補助金、政府からの経済振興策としての補助金など、数百億円規模の金を引き出している。それを沖縄県全体に分配して住民の生活向上に役立てているのならまだ良い。それどころか、富を上位階級者がほぼ独占している状態なのだ。
その構造は、明治の「琉球処分」にまでさかのぼると言う。
それまでの琉球王朝は、観光イメージにあるような牧歌的な時代ではない。農民二人で士分(サムレー)一人を養って行かなければならない、世界でも例のないくらい農民にとって厳しい社会だった。ワシは、李氏朝鮮時代の両班こそ、吸血鬼の名にふさわしい者はいないというのが持論だが、農民二人で両班一人を養っていた社会と同等だ。
その厳しい琉球の人頭税が廃止されたのは1903年になってからのことだった。
明治政府は1876年に『秩禄処分」で40万人の武士(公務員)を一斉解雇したが、琉球では大きな反発に手が回らなくて、先送りしていた。それでは、日本人となった沖縄の農民は琉球時代と変わらぬままだったので、ようやく、本土から公権力(警官など)を派遣して、沖縄でも税制改革をする事が出来たのだ。では、それまでの旧勢力であるサムレー達はどこに行ったのか?それが新たな役所である沖縄県の公務員になったのだ。
知識階級であるだけにそれは適材適所の人材登用ではあるだろう。だが、彼等の伝統として、農民のことは頭にない。彼等にあるのは自己保存の本能だけなのだ。これは、李氏朝鮮の両班文化とそっくりだ。そして、慰安婦問題でもそうだが、自分たちを被害者だと言いつのって、少なからぬ利益を導入しようとする精神構造もそっくりなのだ。
category : ブログ  comment : 0  track back : 0

歴史認識とは何か

またまた良い本を見つけちゃった。

今年はこの手の本の当たり年だなあ。
著者は1971年生まれの(ワシから見れば)若手だが、なかなか鋭い法学部教授だ(上から目線)。平易な記述で日本の近現代史を、1899年のハーグ条約から説き起こす。

歴史認識とは何か

そう、著者はいわゆる歴史学者ではない(と言っていいのか?)。慶応義塾大の法学部教授だ。国際関係の研究をされてきて、このように歴史的な時間軸、国家間の政治経済的な研究からこのような視座が生まれたのであろう。
これほどの中身のある本が、今年の5月から書き始められて、この夏の出版に間に合ったと言うとこが信じられない。仕事のできる人とはいるものなのだな、と、後書きを読んで思った。

この本が書き始められた頃というのが、丁度マスコミで『70年談話』『安保改正条約」が連日話題になっていた頃。
5月には共産党の志位委員長が国会で安倍首相に「ポツダム宣言」の認識について問いつめるという頓珍漢な展開をしていたころだ。

この本の何が素晴らしいのか。先ず左翼的自虐歴史観、右翼的(?)自己弁護歴史観のどちらにも組せず。なぜ現代の日本でこうも自国の歴史認識が食い違うのか、という疑問点からの視座、それを分かり易い言葉で、歴史上の事実だけを例証に上げて、なぜそのような行動に移ったのかという時代背景、近衛文麿、松岡洋右などの人物分析もふまえて説明して行く。これが実に分かり易い。国会前で政府をののしる自由を満喫している若者達に是非読んで欲しい一冊だ。

いったいどこで齟齬が起きたのか、日本史を愛する者達が等しく疑問に思っている点だろう。分岐点はあった。だが、なぜ誤った選択をしたのかが問題だ。現代だからあのときああしていれば良かった、こうしていれば良かった、と傍目で将棋差しにごちゃごちゃ言うことができるが、情報伝達のスピード、文化的背景など、当時としては物理的にも文化的にも限界があったということを踏まえなければならない。もしワシがその時代その人物だったとして、はたして違う決断がなされ得たのか?そして、何よりも世界の思想潮流を読み誤らずにすむことが出来たのか?
日露戦争、第一次世界大戦と優等生なふるまいで世界から注目され、信頼を得るようになっていた日本が、戦後(第一次)国際連盟加盟から脱退までの軌跡をたどる。なぜその道を選んだの?あなた達は。そうしたこの本には書かれていない情勢もあるのだが、それは過去に紹介した本を読んでいただくとよくわかる。ワシも読んできた順番が非常に良かった。過去に読んだ本があればこそ、この「歴史認識とは何か』という本のよさが分かるというものだ。是非教科書にしたい本である。
category : ブログ  comment : 0  track back : 0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。